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明けましておめでとうございます。新年早々掲示板を読むと、インパール作戦に触れた投稿がありました。旧日本軍の兵士達のことわざに 「 アホな大将、敵より怖い 」 というのがありましたが、無能な者が指揮官を務めると、部下の死傷者が増大することを意味しました。
[その1]
大東亜戦争において、愚行や卑劣な行為をした中将たちの名前を挙げるとしたら、ナンバー・ワンは、悪名高い第15軍司令官、牟田口廉也 ( むだぐち・れんや ) です。彼は陸軍大将になりたくて インパール作戦を強行し、反対する三名の師団長を次々に解任し、物資補給の目途が立たないままに無謀な インパール作戦を行った結果、三万人の餓死者を出して ビルマから撤退しましたが、まったく反省の無いまま戦後に死にました。
[その2]
昭和20年(1945年)8月15日の天皇の ポツダム宣言受諾放送終了後に( 一説によれば翌日の16日に )、第5航空艦隊長官の宇垣纏 ( うがき・まとむ )が日頃の傲岸不遜な態度はどこえやら、敗戦の ショックから自暴自棄になったとしか思えない行動を取りました。
天皇の停戦命令違反を承知の上で自己の職務上の義務や責任を全て放棄し、「 私兵特攻 」 の命令を出した結果、11機の特攻機に 22名の部下を道連れにして 沖縄を攻撃し、自殺しました。この行為を見るとき、これが帝国海軍の エリート・コースを歩んだ、「 海軍中将のすることか!」と唾棄せざるを得ませんでした。
死んでお詫びをしたければ、海軍特攻の産みの親の大西瀧治郎 ( おおにし・たきじろう ) のように、敗戦時に割腹して一人で死ぬべきでした。
[その3]
フリピンから合計400機の陸軍特攻機を、62回に分けて出撃させる際に、「 諸士の後には自分も最後の特攻機に乗り出撃する 」 と毎回訓辞を特攻隊員に垂れておきながら、いざ自分の身に危険が迫ると大本営の許可も受けずに、フィリピンから台湾に司令部ごと飛行機で逃亡した、武士の風上に置けない陸軍第4航空軍司令官の富永恭次 ( とみなが・きょうじ ) という卑劣極まりない男がいました。
[その4]
「おとり」になった小沢艦隊の犠牲のもとに、米軍が上陸したばかりの フィリピンの レイテ湾の手前まで折角来たのに、ミッドウェー海戦以来の「 持病 の 臆病風 」 に吹かれて敵前で反転し、敵攻撃の千載一遇の好機を逸した第2艦隊司令長官兼、第4戦隊司令だった栗田健男 ( くりた・たけお ) がいました。せめてもの 「 救い 」 は戦後彼に向けられた非難に対して弁解をせず、沈黙したままで世を去ったことでした。
この四人の バカ中将の行為を、「 部下の生命よりも功名心 」、「 皆で死ねば怖くない 」、「 名誉より命を惜しむ 」、「 臆病な性格の指揮官 」、の題名として、それこそ教科書に載せるべきだと思います。
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