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また”あの日”が巡ってきます。我々は慣らされて”終戦記念日”と呼んでいますが、私はこれに異議を唱えたい。「終戦」というと、自然に、成るべくして成った、という様な穏やかな意味合いが込められますが、これは大きな陥穽です。「終戦」ではなく「敗戦」と歴史的な現実を主体的に受け止めるべきです。なにも、大東亜戦争を無前提に肯定するものではありませんが、敗戦の現実を直視することなしに、東京裁判史観を受け入れてきたこれまでのあり方からは、本当の民族・国家の再生は不可能であるからです。忌まわしい「敗戦記念日」は、これで六十数回目となります。
敗戦記念日を前に、感銘深い本を読みました。篠原啓介という人の『十四歳でさよなら』(開山堂出版)という自伝小説です。帯には「雑音混じりで意味不明の”玉音放送”を聴いた日の翌朝、十四歳のぼくは父の印鑑を勝手に押して海軍少年飛行兵の願書を出した‥‥。多感な少年時代をひたすら”愛国少年”として過ごした昭和6年生まれにとって、戦争はまだ終わっていない。過去の出来事として記憶の底に封印したはずの不完全燃焼の”戦争体験”はいったい何だったのか!?‥‥」と。
敗戦時、私は小学1年でしたが、この先輩とほとんど同じ世界に生きていました。
そとわ小町様、お元気でいらっしゃいますか。私に共感してくださり、一層の勇気が湧いています。どうぞ、ご自愛を。
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