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宣伝戦に負けた日本

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月 5日(日)10時00分2秒
返信・引用 編集済
  竹島問題に限らず朝鮮人従軍慰安婦 7 万~20 万人、南京虐殺 30 万人、江沢民が主張した日本軍による中国の人的被害 3,000 万人説など、日本を貶( おとし )めるための ウソ が世界にまかり通っているが、ウソも 100 回言えば本当になるといわれている。

これらに対して日本政府あるいはその下部機関が、表だって反論したことなど聞いたことがない。外務省の H P にかろうじて竹島に関する日本の主張が掲載されているだけであり、欧米の習慣からすれば、反論しないのはそれを事実として認めたことに他ならない。

相手が ニューヨークタイムズ紙に 1 ページを使い主張広告を出したならば、日本も負けずに同じ大きさの反論広告を出すべきである。

ナチス・ドイツの話をすると嫌な顔をする人もいるが、ナチスは 国民啓蒙・宣伝省を持っていた。その役目は国家宣伝と国民指導を目的とし、その規模は 1936 年当時 正規職員 800 人、非常勤職員 1,600 人であったという。

ゲッペルス宣伝相が大衆に向かい吼( ほ )える姿を子供の頃に ニュース映画で見たことがあったが、日本もせめて「 反論省 」 を作り、日本を貶める ウソには堂々と反論すべきである。

泣き虫 ピエロさんのご意見に同意します。
 

竹島、を読んで

 投稿者:泣き虫ピエロ  投稿日:2012年 2月 3日(金)17時15分55秒
返信・引用
  竹島を、読みました、これだけわかり易く解説して頂き 有難うございます、一人でも多くの人に来て

見て そして考えてもらい、それで私も含めて何か出来ないものか?どんなことなら 出来るのか

など考えても、どうすることも出来ない、ただ むなしい思いでいっはいです。

私たち、戦後の混乱の時代を目のあたりにし、駅まえの闇市などでの朝鮮人の振る舞いを見 聞きして

来たものにとって、NHKをはじめ全マスコミの 韓流ブームとやらに浮かれ 踊り狂うがごときさま、

見るたび、聞くたび 心体の奥の底に重く積み重なって、私の精神衛生上 よくない日々でしたが

久々に、すっきりしました、

それにしても 彼の国では日々刻々 侮日、反日の拡大再生産にはげんでいます、この実態を

マスコミは報道し国民に広く知らせるべきだし、政府外交当局も訂正を求めたり、反論したり

こまかく動くことだと思います、

先日も米国バージニア州議会で日本海、東海併記の教科書が、一票差で危うく否決されたとか

彼の国の反日にかける、執念か怨念か、岩をも貫くというべきか。

わたくしも70代最後の年となりましたが、幸いにして足腰は達者です、管理者さまの指揮刀が

振り払われたならば、肉弾ともなって、、、、、そんな夢なぞみるやもしりません。

 

反響について

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月 1日(水)20時09分10秒
返信・引用 編集済
  随筆 「 竹島について 」 を掲載すると、賛否両論の メールがたくさん来ましたが、7 割は恐らく日教組などの左翼主義者と在日と思われる連中からの誹謗中傷 ・ 罵詈雑言で、残りの 3 割は竹島への武力攻撃には反対ですが、竹島問題について日韓の主張の違いを理解できたとするものでした。

過激な論調が読者の注意を引きやすいので、私の初夢である「 竹島爆撃 」 を敢えて記したわけですが、軍事力という裏付けの無い外交 交渉など、国際政治の場では無力であることを知っていただければ幸いです。

世界の常識は日本の非常識といわれる如く、国旗 ・ 国歌に対する敬意や愛国心を否定する教職員に教わる子供たちが成長すると、この先日本はどうなるのか心配です。私はあと1 ~ 2 年でいなくなる予定ですが。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:yasuyuki  投稿日:2012年 2月 1日(水)00時24分13秒
返信・引用
  管理人さん
ご無沙汰しております、数年前に投稿させていただいた事のある者です。
毎回の更新、拝見させて頂いております。

この度の更新内容は、最近“坂の上の雲”や、その時代背景に夢中になって居た私には非常に
興味深い物であり、日本の外交や自分が教わった歴史の授業内容に不満を感じて居た
為、非常に心に響きました。

日清、日露戦争の頃の日本は“食うか食われるか”の時代に最大の外交努力をし、国難を
乗り切った様に思います。
当然、当時の政治家達も国家の為に大いに悩み、努力されたと思います。

それが今では、自分の私腹を肥やすような事しか考えてない様な政治家ばかり…。
戦後の首相、吉田茂が築いた“軽武装 経済優先”も結構ですが、今の近隣諸国との差を
見れば“時代錯誤”の様に感じてなりません。

“平等に学ぶ権利”を日本に与えて貰って置きながら、国防すら疎かにし、時代の波に
ただ呑まれる以外なす術も無く、棚からぼた餅的な独立を得て、欧米列強が日本に摺りつけた
“戦犯”を鵜呑みにして金をセビル事しかできない朝鮮に嫌悪感しか感じません。

当時、同じく列強に食い物にされていた国でも自ら戦い、自由を得ようとした中国の方が、
同じ領海で揉めている国でも、若い世代で少しは日本に理解があり、よっぽどマシだと感じて居ます。

個人的な観点ばかりで申し訳ないのですが、今の日本人にも、もっと世界を観て自国の
歴史を学んで、愛国心を持つ必要が在ると感じるのは私でけでしょうか?

ダラダラとまとまりの無い内容を書いて申し訳ありません。
 

歴史に関する善悪の判断

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 1月23日(月)16時50分6秒
返信・引用 編集済
  昭和 20 年 ( 1945 年 )8 月 15 日、日本が太平洋戦争に敗れた際に、教育現場で起こったことを今でも覚えています。 当時小学校 6 年生でしたが、これまで学校の教科書や先生から習った日本の歴史や修身( 道徳のこと )などは、全て間違いだったということになりました。

そして歴史、国語、修身、音楽などの教科書にある軍国主義的表現を、命じられるままに墨で消す作業を毎日続けました。

村には護国神社がありましたが、そこに祀られていた名誉の戦死者は「 護国の英霊 」ではなくなり、侵略戦争に荷担して「 犬死にをした哀れな人 」になりました。

アメリカの占領軍が進駐すると OO 先生は軍国主義者であるなどと、同僚を密告をする先生まで現れました。我が家では朝日新聞を購読していましたが、鬼畜米英撃滅の論調から一転し、悪いのは日本の軍部であり、アメリカ占領軍を「正義の味方」視するようになりました。

当時は子供心にも世の中が信じられなくなりましたが、この経験を基に成長してからは歴史についての善悪の判断は、他人や他国が下したものを無批判に信じるのではなく、自分自身で調べたうえで判断するようになりました。
 

感謝して

 投稿者:歴史の肥やしメール  投稿日:2012年 1月23日(月)10時39分55秒
返信・引用
  大変アジア太平洋戦争について詳しい解説とご意見に感服いたしました。
私は、戦後生まれのベビーブームの時代に父がシベリアから帰還してからこの世に出させていただいたと思って感謝しながら退職ごの人生を生きています。
 戦争については、経験のないことなので皆様のご経験者の随想や投稿やWebより情報を得、また学校の教科書を参照しながらすこしずつ頭にいれてきました。
 私もこの戦争については「売られた喧嘩」と思います。表現はお粗末かもしれませんがしかしその通りかもしれません。この戦争で結局米国もスターリンの作戦の上で大損したのではないかとも思っています。
 米国は、西進主義で中国市場を付け狙ってきたわけですが結局自国が強いられた多くの経済的・人的投資に対して結局中国はスターリンや毛沢東も思惑通りに丸々のっとられてしまいました。
 つくづく米国はだれかにのせられたとしか言いようがありません、こんなことなら日本をてなづけてソ連を牽制しながら中国経営を共同でやるべきではなかったのかと思えてきます。そうなれば日本人の被害ももう少し少なくなったのではないでしょうか?私の父もシベリアへ抑留されなくて済んだかもしれません。
 いまさらのことですが、残念でなりません。つねづね日本の情報活動の稚拙さ足りなさを感じていますがこれは、なぜなのか日本人独特なのかそれとも人材による相違なのか判断がつきませんが、今日の経済危機や昭和60年代のバブル崩壊時の政府の対応のお粗末さ枚挙に暇がありません。
 思いついたまま記入しましたが乱丁、疎文をお許しください。
 

ご苦労さまでした

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 1月21日(土)20時44分24秒
返信・引用 編集済
  私が四国遍路に行ったのは10年以上前のことでした。

俗に10年ひと昔といいますが、当時は「歩き遍路」の

ことを遍奴(へんど、へんろこじき)とみなす札所がまだ

残っていましたが、悪評のあった一部の札所も、代替わり

したのかもしれません。私にとって遍路は、一度行けば

十分だと思いました。
 

お遍路の礼儀・・かな?

 投稿者:お遍路初心者  投稿日:2012年 1月21日(土)13時19分20秒
返信・引用
  初めまして、お遍路で此処へ辿りつきました。

「お遍路初心者と申します・・・・2度と填る事の無い人です・・私の事です」

私は4月後半~6月の初めまでの区間で回りました。「去年です」

88は当然ですよね・・・別格20・・・不動霊場36・・と一気に回りました。

どの 記帳場所でも 不愉快な思いは 一切有りませんでしたよ、皆さん親切にして頂き 感謝 感謝 の何事でも無い感じでした。
「何処の場所でも 次は気を付けて 回って下さいと お声をかけて頂き 元気が出ました。

中には おみやまで 頂いた場所も多々有りでした。

四国 約2週半 回ったかかな・・・・
「全部 別行動で回ったので・・・走行約 7500キロ ポッチですがね?」

勿論 単独です・・・記帳は全て 此の目で確認しています。

填らない理由・・・・
「四国 お遍路は奥が深すぎて・・・・つまり お寺が メッチャ多すぎなのが 理由です」

私が 回った たった 144寺と高野山と東寺を含めて 146です。

これ以外にも 此の何倍もの お寺巡りが有る事を・・・・・汗。
「なので 一度で 終わりにしました」

ちなみに 初めて東京から行きました・・・88のみ逆打ち他は順打ちです。

「60オーバーの人です」
 

懐かしいです。

 投稿者:はるめん  投稿日:2012年 1月18日(水)20時19分19秒
返信・引用
  お返事有難うございます。
昭和15年入学でいらっしゃるということは、私が一年生に入学した時は
四年生でいらしたということでしょうか?
当時校庭では休み時間に「水雷艦長?」が大流行でした。
それから上級生たちの、前の人のお尻に頭を入れてつながった背中に
ドシンドシンと飛び乗るかなり乱暴な遊びに新入生は圧倒されました。

校長は富岡次郎先生ですか。
担任の名前は覚えていても校長先生の名前は忘れていました。
校長先生はスポーツマンタイプのどちらかと言うとリベラルな感じの方
の様に子供心に思った様な気がしますが・・・違いますか?
初めての遠足、小石川の植物園へ一緒に来てくれて唯一の写真を持っています。

前の家に住んでいた幼馴染の兄弟は弟が仰高北で私の一級上、兄がその二つ、三つ上
でしたから、もしかしたら兄さんは管理人さんと同級くらいでしょうか。
(私は生意気な子だったので彼等からよくイジメられました)
兄弟二人とも集団疎開に行ったと思います。疎開は3年生以上でしたかね?
弟の時は校庭で夜、疎開壮行会?の様な集まりがあり、ケンカをしていたので、
口を利かずに目で「さよなら」をしました。
彼とは兄さんと共に、30年後に再会し、集団疎開時の話もきかされました。

昭和20年3月に父を残して神奈川に縁故疎開をしたので私は学童疎開は
しないで過ごしました。
わたしは丸2年一緒に勉強した仰高北のクラスメートとは一別以来一度も
会うことは出来ませんでした。
その後の神奈川の小学校の思い出よりずっと深いものがありますし、
ずっと懐かしいのは自分でも不思議です。
管理人さん、今もクラスメートと会合を持たれている。・・・羨ましいです・
皆「戦友」ですものね。皆様によろしく。

長文申し訳ありません。




 

歴史の生き証人

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 1月18日(水)10時03分18秒
返信・引用 編集済
  同じ小学校、しかも戦災で焼失し廃校になった小学校に在籍した方から投稿を頂くとは、なつかしいかぎりです。昭和 18 年当時の校長は、たぶん富岡次郎先生だったと思います。

私は昭和 15 年 ( 1940 年 ) に仰高北小学校に入学しましたが、昭和 19 年 ( 1944 年 ) 8 月に米軍機の空襲を避けるために長野県の山奥の寺に、 5 年生男子 75 名と一緒に学童集団疎開をしました。

昭和 20 年 4 月 13 日に、170 機の B-29 爆撃機による大空襲で我々の小学校も焼失し、敗戦により我々もちりぢりになりました。その後互いに連絡をとりあい、毎年 1 月の最終土曜日の夜に クラス会・兼新年会を開いて 40 年以上になります。

今年も今月 28 日の夜に J R 巣鴨駅近くで クラス会があるので、関西から出席する予定です。長野県に派遣された先生を初め、5 人の寮母さんのうち残っていた最後の方も去年亡くなられ、我々を含めて戦中戦後の混乱期を過ごした歴史の生き証人も、次第に消えていきます。
 

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